出詠できない人は言う。「忙しかった」「家族に不幸が」「引っ越しで忙しくて」「仕事が立て込でいて」。どれもこれも下らん理由だ。出詠できない言い訳にはならない。極めつけは、「ネタがなかった」。これが一番不思議である。
短歌は文学であり、文学は税金払うのとは違うのだ。ないとこからひねり出すのではない。そもそも、言いたいこと、書きたいことが喉元までせり上がってきていて表現したいという衝動を押さえきれないからこその文学であって、「ネタが見つからないのでたった十首ができませんでした」なんて者に表現者の資格はない。そもそも、ネタがないなんてことがどうしてあり得るのか。人間一寸先は闇である。ちょっとそのへんを歩けばガキは泣きわめき自転車にぶつかられ銀行口座は悲惨のきわみで田舎の両親は要介護で自分の健康診断は遠からぬ死を告げる。右を向いても左を見ても真っ暗闇の現実の中で、歌うことがないなんて、そんな訳がないのである。歌うことがない、という人は、そうした真っ暗闇の現実を見たくないからそうでないネタを探しているのだと言うのかもしれんが、短歌は逃避の文学ではない。暗黒へと突入する文学である。そうと認識せずに「ネタがない」などとほざいて月々の出詠をサボるような者はとっとと除名されてほしい。たとえ死病に臥していても、いやそれだからこそ、最後の息をふり絞って作歌はできるのだから。
歌人の皆さん。結社に所属しているなら、欠詠はやめてください。短歌はあなたがたにとってすがるべき最後の藁である。それを手放したとき、死よりも悲惨な精神の敗北が待っているのだから。
手術終へ真夜の辛苦に何故か顕つ大村崑のとんま天狗よ
『少年ジェット』のバイクに従(つ)きて老いぬればいづくの道にシェーンよ果てき
白人は皆あめりか人と牛乳をコップで飲み観た『名犬ラッシー』
サンダース軍曹の小銃火を吹けば王貞治は日本刀振る
ああかつて白の時代ありきたしかに在りき白馬童子が跳んでいつたよ
歌集「安輝素日記」より
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斎藤 寛
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ひでお
二〇二四年
死に惹かれ死にをののくは若さなれまひるま臥して死に親しめり 斎藤 寛