あれは、僕に言わせれば、日本「大学」ではない。日本「会社」である。この腐敗しきった大学、もとい会社を地上から追放する手段はまず、何をおいても受験生を減らすことだ。元の図体がでかいだけに、生徒の数が減れば自然と倒産するであろう。私大の生き残りは今や戦争である。駒沢や専修は、この勢いに乗って受験日を日大の受験日にぶつけるがよい。間違いなく、日大の受験生はそっちに流れるであろう。大学界の新宿二丁目と呼ばれる奇人変人の巣窟日大芸術学部だけは何とか残して、あとはみんな消えて失せろ。
書こうと思って忘れていたことを書く。「塔」11月号月集欄に取り上げられたこの歌に対しての評に、言いたいことがある。
鬼っ子と父に言われし春の日の記憶に赤く躑躅は咲きぬ 関野裕之
選者は、「鬼っ子とは、異様な形相をして生まれてきた子」のことなので、そのような外見をそしられた悲しい記憶のことを詠ったのだと解釈している。多分、この評者は「鬼っ子」という言葉を辞書で引いただけで、それ以外の意味を調べなかったのであろう。だが昔から、「親に似ぬ子は鬼子」という諺があり、親に似ない子はそれだけで疎まれ、鬼が取り替えた子であるかのように冷遇されたという歴史がある。この歌は、外見ではなく、その性格を指して、父親から「お前なんぞ俺の子じゃねえ」と排撃された、無力で繊細な子どものトラウマの歌なのである。
結社誌はもっと、選者をこそ厳しい目で批評し、人の歌を批評するだけの見識とセンスがあるかを常にはかり続けるべきである。そう言いたいくらい、見る目のない、語彙のたりない、ものを知らない選者が多過ぎるのである。選歌がおかしいと思ったら、そのことを指摘するための欄を設けるべきである。それこそが、歌を詠み、歌を読まれるということへの興味を掻き立てるであろうと僕は考える。詠み手ばかりで、読み巧者なんぞはゼロに等しい。私の名歌選・秀歌選を読んで勉強していただきたいものだと切に思う次第である。
この記事へのコメント
佐藤涼子
11月号月集掲載の関野裕之さんの作品とのことでしたが、10月号、11月号、12月号掲載の関野さんの一連を探しても見当たりません。
ひでお
佐藤涼子
ただ、この欄の書き手を「選者」と表現するのは、語弊があるように思いましたl
ひでお