№3698 無症状感染者をこそ増やすべし

 ニューヨーク州クモウ知事おん自らがコロナ検査を受けたことが、同州におけるコロナ蔓延を抑制するにおいて効果絶大であったとマスコミは絶賛しておるが、僕はこれに対して異論を唱えたい。果たしてそうだろうか。僕は違うと思う。ニューヨーク州においてはすでに感染者数のピークが過ぎており、後付けでしかないPCR検査の有効性を謳うには、あまりにも根拠が薄弱である。逆に、PCR検査を簡便なものにしたがゆえに、いかなる混乱が生じたかをマスコミは報じない。陽性反応が出たからといって片端から収容するとしたら、どう考えたって場所が足りない。病気だと分かったから最先端の医療が無償で受けられるわけがない。どいつもこいつも入院したがれば病院はパンクし医療は崩壊するが、マスコミはなんとかの一つ覚えで「とにかく全員検査を」とほざきくさる。全員検査と言えばまるで福祉が充実してるみたいに聞こえるが、無症状で人にもうつさない感染者までもあぶりだすことによる社会的デメリットをマスコミはてんで報道しないのである。


 そもそも新型コロナウイルス肺炎というのは、感染した人の八割は無症状で、伝染性も持たないのである。何百万年も感染症と戦い、そのほとんどを免疫力によって制圧してきた人類の一人として言いたいのだが、コロナウイルスなんぞはばんばん罹患して、無症状の免疫保持者を増やすべきなのである。先ごろ、ようやく再開した学校に行くのが怖くて保健所に「コロナが怖いので学校行きたくない」と電話した子どもに、役所が「そーゆーもんだから諦めてください」と言ったことが社会問題になった。しかし、僕は言いたい。僕が子どものころ、海や川で同じ学校の子どもが死ぬことはよくあった。予防注射を受ける同級生の中には気分が悪くなって二度と登校しなかった子もいた。自然も、あるいは人間の打つワクチンも、何人かに一人は犠牲になるのである。コロナ渦巻く世間を登校する子どもたちの何人かは、ものすごくはっきり言わせてもらうが、死ぬであろう。でもそれは確率の問題だ。何千人かに一人死ぬ子の健康を気遣って、他の何千何万の子が教育を受けられなくていいというのか? 子どもであるを問わず、大人であるを問わず、全員が生き残る訳にはいかないのである。そして役所という窓口は、そのことを最も冷徹に告げるべき場所なのである。

 病原体に対して人間ができることは、科学的には予防薬の開発、人的には、なるたけ多くの人が罹患して免疫を共同体規模で持つことである。予防薬が未だ開発されていない現況においては、むしろなるべく多くの人間が潜在的に病原体を持つことが最も有用だろう。私だって、自分を始め疫病によって人類の減少に貢献したいとは思っていない。だが、自然は、常に量の調節を図るのである。全員が生き残るわけにはいかない。だが、必ず誰かは生き残るのだ。

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