№3696 「塔」七月号陽の当たらない名歌選2~「田舎は恐い」~

      塔七月号「陽の当たらない名歌選」その2

替えがきく寂しき部品の一つなり故志村けんのコントの女優 大江いくの
稽古積む演目なれど無期延期散り敷くさくら花道とする 石川泊子 
ひとの多い街ほどひとは死んでゆく肩からするりと鞄が落ちる 紫野 春

おまえに貸すゆとりはないときっぱりと言いつついくら要るのかを訊く 垣野俊一郎
朝起きて鏡の前に立ったとき誰も映っていなかった夢 坂下俊郎
一番良いマスクして行くもう何が不要不急だかわからない春 田宮智美
ほろ酔いできみが繋いでくれた手をやっぱり離す築地場外 伊藤未来
つまんないつまんないつまんない七歳は祈祷のごとく唱えて眠る 百崎 謙
レコードに耳傾けるビクターの犬の角度で肩に凭れた 榎本ユミ
土砂のごとく流れくるきみの感情で半島となりどこへも行けず 榎本ユミ
君と見る桜もこれで最後かと君の歩幅で自転車を漕ぐ 小島涼我
さくらばな淡くにじめる春の夜にかすかに揺れる対のブランコ 布施木鮎子
手の甲に浮き出た青い静脈は海をもとめる川に似ている 青海ふゆ
指先をつまめば爪はしろくなる 遠く遠くのゆめをみたいよ 椛沢知世
祈る時夫は綺麗な人になる その眸(め)は神を仰いで澄みぬ 沼波明美
いつだって私の旅の目的は帰ってくること還ってゆくこと 大井亜希
「自粛ではわからないから禁止して」禁止の怖さ知らぬ若者 あ か り
読み方を知らぬ街より便りきて架空の地図を描き続ける 中森 舞
死んだる!と断崖をとぶ夢を見た朝は楽しいゴミを出すのも 松岡明香
売ってない島は魚はもらうもの今日のお返しはシュークリームに 白 梅
早早と鯉幟泳ぐこの村にたつたの二軒それでも二けん 福島美智子

      各首評

替えがきく寂しき部品の一つなり故志村けんのコントの女優 大江いくの

 バラエティ番組における、ピンのコメディアンのバカ彼女やバカ女房を演じさせられる一山いくらの女性タレントって何なのだろうか。彼女たちはもれなく、田舎の町や村では100年の一度の美少女だったわけであり、タレントキャラバンが発掘に来たり、「友人がこっそりオーディションに応募」したり、たまたま渋谷に遊びに来たり、さまざまな手段を用いてタレント事務所に買われてゆく。事務所のほうとしてみれば、1000人採用してなんとかグラビアアイドルとして使えるのは10人か20人、その中でいっぱしのタレントか女優としてやっていけるのは1人いればいいほうで、たいていは1人もおらんであろう。まあそんなのは、人前に出る商売をしようという人間にとっては当たり前の試練なのだが、悲しいのは、女性の芸能人志願者が、どうしようもなく、無個性で搾取され消費されるだけの馬鹿キャラクターを演じ続けなくてはいけないということだ。彼女たちは、女性であるがゆえに、男よりもものを知らずボケをかまし続け男性のコミュニティや日常を破壊するあたまのわるい存在を演じさせられ続ける。たとえ当人がどれだけ学歴があって頭がよくてもだ。志村けんだけが悪いのではない。コメディの世界が必然的にそうした要素を持っていることは百も承知の上で、僕は、コロナにかかってくたばった、志村けんという国民的であるらしいコメディアンを、そのくだらないコントの数々において見るに堪えない女性差別ギャグを演じ続けた存在として軽蔑し、切って捨てたい。女性を知的に下の存在と見て笑い者にすることは今の社会においても普通に行われている。そして多くの女性が、たとえどんなにバカにされようと芸能界に入りたがるのは、彼女たちの女性性と才能を共に生かす機会がこの社会において少なすぎるからではないか。いくら国民たちに愛されたか知らんが、志村けんの「だいじょうぶだあ」というあの白痴的表情の中に、女性に依存し同時に女性を蔑視するクソ野郎が潜んでいることを僕は見逃さないし、彼の死を惜しいとも思わないのである。

(注・次の歌は陽の当たらない歌その1で取り上げたものです)
標準語話す人らを検査せよと陽性患者少なき地にて 黒瀬圭子

 上句の日常的リアリティの嫌らしさが、吐き気がするほど田舎である。「東京から来るものさ検査するだ」とでも言えばいいのに(作者は鹿児島なので方言が東北になってしまって陳謝)、「標準語を話す連中」ということで差別を行うのである。萩原朔太郎が「私は田舎を恐れる」という詩を書いたことの根幹がここにある。田舎もんつーのは、閉鎖的な、自分たちでしか通じない、しかも文明的要素のまーったくない言語の中に埋没して、いわゆる標準語を話す人のことを「おらたちとは違うよその人で、病源菌持ってるだ」と思うのである。昔々のど田舎のどん百姓の魔女狩り大好きな無知蒙昧な輩が、たまさか村にはやり病がはやったからといって、何の罪もない「よそもの」をスキやクワをもってぶっ殺したような野蛮が、この文明国日本でのさばっておるのである。ご存じだろうか。いわゆる自閉症児は方言を使わない。自閉症児は、本やテレビなどマスコミから言語を学び、周囲のど田舎の無知な連中の方言からは情報を吸収しないのである。これは自閉症児にとって人生の困難だが、方言と閉鎖性の中に埋没して近代的思考の持てない田舎もんのほうが、精神障害よりもっと始末が悪いと僕は思う。

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