№3688 「短歌人」七月号秀歌選その181~絆という名の偽善~

      「短歌人」七月号会員欄秀歌選その181

親心伝わりて来る良き名持ち壁に貼られる指名手配者 田中佐智子
革命のちいさな狼煙スカートをはいて深夜の町を歩いた 木嶋章夫
公園で飽きずに遊んでいる子供をほんのりみているいもうとは母 千葉みずほ

マスクした吉村知事のすがしくもするどい目つき 眠って下さい 犬伏峰子
名画座のかかつた映画『浮草』で雁来紅まで持ち帰りくる いなだ豆乃助
英霊の如くに報ずるマスコミをコントにするだろう志村けん死す 田所 勉
老いし身には老いし恋あり白髪とて皺の瞳の奥の眩しさ 鳥塚 力
弟の話をすると途中から鼻声になる電話の母は 柳橋真紀子
かなしみを薄く伸ばして紛らわす夜の隅は地域猫に任せて 笹川 諒
イキの良い刺身を買おうお財布は診察券で膨らんでいる 田上暁子
春たけて葱坊主らのうす笑い 種を飛ばせりみだらとなりて 高木文子
「とろくさい」と云はれる友の支払ひはいつも所作の美しさ一番と思ふ はなぶさ 恵
無人駅で見送るひとの淋しさに寄り添うように春がきました 水瀬ひつじ
ふたたびを見る浮き雲の浮きながら思ひだせないはじめのかたち 如月 郁
終息を願う神社に鈴緒なく水も柄杓も除かれており 杉江陽子
スッピンの日々の続きて今日気づく集金人が来る 髪整える 榊原トシ子
ミイラでも見世物になる未来など見抜けなくって浴びているライト 葉山健介
昼近く起きてひと日の短さよ どんな風にも荒むか人は 村井かほる
消えてのち鈍い淋しさ漂える寄る辺なき言語としての泡 高良俊礼

      一首評

親心伝わりて来る良き名持ち壁に貼られる指名手配者 田中佐智子

 わははははははははは。
 そうか、そうだろう、みんな思っていたのだ。俺は今でも覚えている、とあるワイセツで下劣な事件の犯人の下の名前が「元気」であった事を。何が元気だ、元気なのは下半身だけではないか(←下品)。
 だいたい、親心なんてものは空回りすることが最初から決まっているのである。俺様の名前を見ろ。誰が英雄やねん。親は俺をユリシーズのような遠大な冒険にでも出したかったのか。結局出来上がったのは、できたら家から一歩も出たくないようなロクデナシの前期高齢者ではないか。
 親心なんて物は、できるだけ持たないに越したことはないんである。立派な名前をつければつけるだけ、当人はそのギャップに苦しみ、やる気をなくし、果ては社会脱落者になりかねない。ありがたそうな名前をつける親に限って、親の仕事はそこで終わりとばかりアフターケアを怠ってダメな子どもを作り出すのではないか。昨今におけるキラキラネームの猖獗を見るにつけ、そうした感をおぼえる。指名手配犯という結句にはある種の切実さを感じる。人は誰しも、犯罪者として生まれてくるわけではない。私は犯罪者生起説には与しない。人が犯罪者になるのは、犯罪者たるべく追い込まれる要因を社会が持つからだ。初句の親心という言葉が、切実に突き刺さる秀歌である。

終息を願う神社に鈴緒なく水も柄杓も除かれており 杉江陽子

 どこの神社か知らないが、この神社の、神主だか宮司だか知らんが、この、宗教者たることを放棄したおよび腰の、世間の重圧に媚を売った姿勢のまあ情けないこと情けないこと。宗教というものは、応仁の乱の昔から世間の大勢や時の幕府に対抗する勢力として独立してきたはずだ。かの「カノッサの屈辱」においても、いかなる王権にも脅かされない宗教の権威というものが強調されていたはずだ。しかるに何であるかこの神主は。いはゆる「ソーシャルディスタンス」なる物に配慮して、不特定多数が触ったり飲んだりするであろう鈴のヒモや、ご神水やヒシャクまで撤去してしまったというのだ。キサマそれでも宗教者か恥を知れ。いかなる世俗の論理にも冒されずに神域を守るのが宗教者の勤めであろうが。それを何か。もともと医学的根拠が皆無の「国民皆マスク&ソーシャルディスタンス」の風潮に媚を売りくさって、信仰者としておろかな世の風潮と戦う気概すらないのか。何のための狩衣で烏帽子で勺だ。宗教施設が、政治家の自粛要請から独立した存在でなくて何の意味があるというのか。日本人の言う絆だの道徳感だの言うのはこの程度の物なのである。バイトもできず下宿代もろくに払えず、困窮して餓死しそうな息子や娘に帰って来るなという鬼畜な親どもがぞろぞろいる。ご近所から「あそこのお子さん東京から来たのよまあイヤねきっとコロナだわ」と言われるくらいだったら、息子や娘が餓死しても構わんのである。かつて、兵隊にとられるのが嫌で自殺した息子の死を必死で隠蔽した親のように。日本人の「絆」と称するものは、真に肉親を慈しむということではなく、「ご近所にはばかって自分は死ね」という意味のことなのである。日本人の家族に生まれたらそれは災難と言っていい。一朝ことあらば父が、母が、兄弟が親戚が、「オマエさえ死ねば万事うまく行く」(ハンセン病患者もかつてそういう仕打ちを受けた)と攻め立て、追い詰めるのだから。

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