№3576 選者拒否制

 今から短歌を志す皆さん。結社の側が打ち出してくる、権威ありげな選者なんてものを信用してはいけませぬ。選者を指定できる結社に入るのならいいけど、それ以外の人は、選者を信用してはなりませぬ。自分から自分の歌を選んでもらう選者を指定することもできず、振り分けられた相手に選歌される、これを暴力と言わずして何と言おう。たとえば「塔」に於いては、何首選ばれたかではない、絶対に取って欲しいと作者が思う歌を選者が的確に見抜いて取ってくれるかどうか。それが重要なのだ。たとえば永田和宏選において、私の歌は取られてもせいぜい3首か4首だ。多分私のことが嫌いなのだろう(笑)。ただ、凄いなと思うのは、そんな嫌いな男の歌を、これだけは取って欲しいというキモの歌だけは必ず見抜いて取るということだ。そういう意味で、永田和宏の歌人としての眼力は尊敬する。しかるにだ。バカな選者は、俺がここぞとばかり言いたいことを言い切ったキモの歌を狙ったように落としくさる。ほんっと、こんなバカどもの選を受けるのは人生の屈辱と言っていい。選者指定制が無理だというなら、僕はここに「選者否定制」を提言したい。私は、塔にソデにされた歌を毎月この日記に上げている。たとえば今月号の日記で言うならば、№3575 「羽蟻と野菊」にアップした、僕にとって大事な次の二首

二十時を過ぎれば悲観の鬱に酔ひ昨夜につづき啄木を読む

目醒むればあはれ羽蟻の骸あり迷ひ来たりて畳に果てしや

 が落とされた。

 この二つの歌は一連のキモである。よほど読解力のない歌人でない限り、この二首を落とすなどは考えられない。そこに存在するのは、決して証明することのできない、しかし悪質きわまりない悪意である。
 「塔」の選者は、札付きの、厄介な、結社に噛み付いてくるような不届きな歌人の出詠を、4首か5首くらいしか「載せてやらん」と決めておるのではないか。その上で、作者が最も心をこめて作った歌をことさらに落としているのではないか。まともな歌人が読めば落とすわけのない歌を落とす理由は、それしか考えられないではないか。オマエらが俺を嫌うのは構わない、だがだからといって俺の作ったどこからも文句のつけようのない名歌をワザと落とすとは、キサマら文学者として恥ずかしくないのか。

 そのような恥ずかしい選者が誰であるか名前を言おう。江戸雪、永田淳、山下泉、小林幸子。俺はオマエらの選歌なんぞ受けたくもねえ。また、「塔」の選歌で異常としか思えないのは、会員欄のトップページに、これはもう「結社に貢献という名の寄付をしたり全国大会で下働きをしたり選者センセイに付け届けやゴマスリをした」んでなければ到底載るはずのない駄作が並んでいるということである。違うというなら反論してみろ。あそこに並んでる駄作のどこが駄作でないか論証してみろ。「塔」というのはまったくもってけったくその悪い結社である。「塔」よ、今すぐ選者指定制にせよ。それが嫌だというなら選者否定制にせよ。江戸雪、永田淳、山下泉、小林幸子、僕は選者としての君たちを否定する。君たちの選など受けたくもない。歌を目指す皆さん、選者を選べる結社に入りなさい。その点において、「塔」は最悪である。俺ははっきり言って、栗木京子様だけの選を受けたい。それ以外の連中の選はいらん。

この記事へのコメント

  • 川村 健二

    2019年12月23日 19:14
  • 川村 健二

    黒田英雄 さま
    毎月『短歌人』で黒田様の歌は愛読しております。
    始めてブログを拝読し、上記の主張を面白く思いました。
    黒田様が挙げられておられる撰者は、取り上げるだけの者ではありませんよ。まったく。しかし、この関係は昔からあったようですね。 「ゆく春や撰者をうらむ歌の主  蕪村」
           2019-12-23   会員1  川村健二
    初めてコメントします。うまく届けばいいですが。




    2019年12月23日 19:25
  • ひでお

     川村様、コメントありがとうございます。今後ともこのブログを読んでくださいませ。ほんと、歌人の選歌ってひどいと思う。ロクな選者がいませんね。選歌がよければ、もっといい歌人が出てくるはずです。「塔」なんか、僕の好きな人がどんどん辞めていくんだもん(泣)。それを防ぐためにも名歌選をやっています。「塔」の作風が歌壇の主流だなどとぬかすバカがいたけど、こんなアワアワとした、イライラする短歌なんぞ消えていただきたい。ときっと河野裕子も思っていたことでしょう。河野の、歌を批判するときの口癖は、「淡すぎるなあ」でした。
    2020年01月20日 21:50