№3534 「塔」九月号・陽の当たらない名歌選1~テッポウユリ~

      「塔」九月号・陽の当たらない名歌選1

しよせんは独り テッポウユリにつぶやきぬひとりのときはわからなかつた 田中律子
失望より希望のほうが悲しいとなぜこんな時に気づくのだろう 北山順子
きつぱりと断る言葉にプライドが あぢさゐの鞠の一点見つつ 古賀公子

怒りには速度があると思いたり声荒げいる人の髪揺れ 黒沢 梓
桜貝見つけたような顔をして波打際を駆けくる少女 石井夢津子
川のある街に働きときどきは風にあらがう水を見にゆく 沼尻つた子
羽撃ける影は路上のわが影を叩く(はた)きてのちを飛び去りにけり 畑 久美子
心臓がある分わずかに重いから左の乳房でものを思えり 大森静佳
高校の油絵仲間きえはてて屋根裏部室を知る人はいない 梶野敬二
衿元にのぞくサロンパス剥ぎとりて真赤なブラウスの胸張りて行く 小谷淳子
元文より十三代のひと住みしこの家を閉づるが役割と言ふ 田邉ひろみ
「言い訳をしなけりゃ生きていけません」あいづちうてば人はほほえむ みずおち 豊
わたくしの身代わりとなり家中の時計が狂ってくれた日曜 山上秋恵
振り続けていないとすぐに分離するドレッシングだ家族も夫婦も 王生令子 
透明な檻のようなり六月の雨は孤独をやすらぎとせり 黒木浩子
自転車の後のかごに犬はなし「亡くなりました」と老婦の涙 杉山太郎
卓の上にこぼれし塩のひかりゐてけふも孤独のはじまる朝餉 赤嶺こころ
眠るとき思い出そうとする声の形のなさを抱きしめている 鈴木晴香
今日も犬の鳴く声止めず平手打ちのように網戸の閉められる音 石橋泰奈
スーパーはいろんな人が来るところずいぶん長く生きている人とか 宇梶晶子
ひとつ浮かんでつぎつぎつながる思い出よ友逝きてひとり歩く東京 加藤武郎
手放してまた手放して生きてゆく自分を手放す時に向かって 中山悦子
五つもの元号またぎ大叔母がオセロをしているマニキュアをして 石井久美子
ものぐさと春のおぼろはどこか似て窓辺のわれは膝にもの書く 千村久仁子
歌いながら歩く人って割といるすれ違う時やめたりしない 相原かろ
手にふれて手にふれられていつまでも記憶のなかに雨の新宿 徳重龍弥

      一首評

しよせんは独り テッポウユリにつぶやきぬひとりのときはわからなかつた 田中律子

 僕は、朝ドラ「なつぞら」ほか見ていて思うのは、人に愛されて生きていたヒロインは、きっとその晩年は悲しいことが続くだろうということだ。「なつぞら」もそうだが、まず草刈正雄扮するおじいちゃんを初めとして、どんどん愛する人たちが死んで行くことだろう。ひとりぼっちの時には逆に、孤独感というものはわからない。親しい人がどんどん死んでいく中で初めて、人はしょせんは一人ぼっちなのだと思い知るのである。僕なんかはまだ幸せなほうだ。死んで孤独感を味わったのはただ一人、母が死んだときだけだ。僕にとっては母親が全てであり、それ以外は全世界が他人である。この歌の面白さは、多くの人に囲まれて生きているうちは孤独感を覚えないが、一人になった時に初めて自分は孤独だということを感じて痛い。人間は所詮は一人なのだ。僕は、母を亡くしたとき一人だと痛感した。生きて行くというのは、所詮一人の戦いなのだ。という私は、周囲に甘えまくって生きている。母に委ね、妻に委ねて生きている。最低な男である。テッポウユリという名詞が秀逸。作者の言葉のセンスは見事である。

この記事へのコメント

  • 草餅みどり

    某短歌雑誌の投稿欄に、ペンネーム枝豆みどり、なる人物が、投稿したようです。まずペンネームを、「草餅みどり」からパクるってのが最悪、加えて「枝豆みどり」なんてまるでセンスありません。
    草餅みどりはセンスあるけど、枝豆みどりは最悪ってわからないのかなあ。
    まあ、名前をパクってる時点でろくなもんじゃないので、こういう人が短歌やったところで、時間とエネルギーの浪費でしかないなと。せいぜい作品はパクらないほうがよろしいかと言いたいです。
    2019年09月22日 18:11