№3518 「塔」八月号・陽の当たらない名歌選1~グロテスクさのリアル~

      「塔」八月号・陽の当たらない名歌選1

真っ直ぐに泳いだつもりが斜めになる背泳ぎ、君の善意に似てる 王生令子
(誰からも「ママ」って呼ばれなくていい)祖母はいつでもわれを否まず 永田 愛
母さんが泣くのはお前のせいだと言う父のねずみのような横顔 乙部真実

君は今芽吹きのみどりしなやかに吾が傷跡を過ぎてゆく風 大江美典
クロールで息継ぎするときふと見えるあちらの世界にいってはならぬ 王生令子
人の手からエサをついばむ鳥のように人の手から貰いたいおつり 北野中子
綾部市は「グンゼ」の町なり朝ドラを誘致する旗随所にありぬ 山崎恵美子
見せしめの唐丸籠の無宿にもこの囀りは聞こえただろうか ほうり真子
川の上に真鯉緋鯉のひるがえる夕べの風をはらわたとして 沼尻つた子
府知事選に白票投ぜむと出でゆきし九十歳よ人嗤ふとも 竹下文子
屈託なく童話が好きと言う人にわたしの好きな童話明かさず 朝井さとる
わが友よひどいじゃないか俺にまで何も言わずに逝ってしまって 加藤武朗
あとで知り悲しむ俺を想いつつこの年賀状書いたのか おい 加藤武朗
歩数計持ち歩かねば歩いてもつまらんねえと言いつつ歩く 土肥朋子
「人生は眠いね」「うん」と云ひ合ひて全校集会へと向かふ夢 篠野 京
犬の死ぬる時にひとこと哭きたりきバラの匂ひのながるる五月 田口朝子
啄木の「ROMAZI-NIKKI」読みし頃初めてビールに舌を触れにき 杜野 泉
きさらぎに陽のなまぬるし刃刺すごとく泉を食道に呑む 東 勝臣
音高くグラスの氷を噛み砕くひとの若さを羨しぶ春の夜 堺 礼子

      歌評

真っ直ぐに泳いだつもりが斜めになる背泳ぎ、君の善意に似てる 王生令子

 他人の善意というものに対するアイロニーに、背泳ぎを比喩として詠ったことが面白くて、リアルである。確かに背泳ぎは、一瞬気分よく泳いでいるつもりだが、コースを逸脱しがちな種目でもある。善意は善意であるだけで正しいわけではなく、使い方を間違えるとただのはた迷惑となるということを作者は言いたいのであろう。この作者の歌には、毎度毎度強烈なアイロニーが込められている。それが肉体感覚のリアリティをもって詠われているので滅茶苦茶面白い。この人、なんで「塔」にいるんだろう。彼女はここにいる限り浮かばれない。「短歌人」に入り直して藤原龍一郎の選を仰ぐべき人である。「短歌人」の「卓上噴水欄」に載るべき歌人である。「塔」が彼女を重用することは決してないであろう。

(誰からも「ママ」って呼ばれなくていい)祖母はいつでもわれを否まず 永田 愛

 上句を他人から言われれば、たとえ善意であろうとも作者は嫌味に感じるであろう。これを祖母から言われているという。そこに僕は感動した。祖母は、この上もなく作者を愛しているのだ。肉親に一人、何があろうと自分を受け入れてくれる人がいれば、人は生きて行ける。結句がいい。思わず僕は胸が熱くなった。

母さんが泣くのはお前のせいだと言う父のねずみのような横顔 乙部真実

 上の歌とは対極のクソ親、毒親の歌。肉親というのは本当、ロクなもんじゃない。とにかく、血縁という言葉に僕は嫌悪を覚える。殺人事件のトップが肉親同士のそれなのも、異常なことではなく当然のことのように思える。この歌の上句で泣いている母の事情は知らないが、下句に、否定され続け非難され続け、自分の全存在を親によって愛されなかった作者のどうしようもない絶望がひしひしと伝わってくる。なんだこの父親は。氏ねと申し上げたい。結句から浮かび上がってくるグロテスクさに激烈なリアリティを感じる。

川の上に真鯉緋鯉のひるがえる夕べの風をはらわたとして 沼尻つた子

 空を軽やかに飛ぶ鳥たちはおっもい内臓を持っておるのだぞ、とかつて詠んだ歌人がいたが、おっもい内臓がないこいのぼりはどうすればいいのか。あの「五月の鯉の吹流し」とも例えられる中身のなさにどのような実存的苦悩を感じ取ればいいのか。だが感じ取ることはできるのである。詩人とは畢竟、内臓のないところに内臓を、血まみれでないところに血まみれを、病んでもいない人間をつまらないと感じて病みしめてしまう人種である。ならば、五月の鯉の吹流しを通る爽やかな風に腐臭ふんぷんたる臓物を見出して何がおかしいことがあろうか。「塔」きっての暗黒歌人、沼尻つた子の面目躍如たる一種である。

この記事へのコメント