№3284 「塔」五月号・陽の当たらない名歌選2~スコシシニタイ~

      「塔」五月号・陽の当たらない名歌選2

乾涸びた魚の死骸を水槽の裏にみつけた スコシシニタイ 石橋泰奈
いい子だと言ひつつわたしに突き立てたナイフの理由(わけ)聞かせて欲しい 大江美典
結び方を知らないからねネクタイをほどく指に責任はない 山岸類子

台所のストーブに皆が憩う夜のたび重なれば草臥れてくる 高原さやか
唇を奪うってこんな感じかな金の微糖がのどを伝って 井出明日香
濁るがにくもりてゐたる花のいろ そむけるときのかほに似てゐる 小田切 夕
バス停の名は下狢(しもむじな)冬ざれの田の広がりに待つ人の無し 浅野次子
発熱にくるしむわれのかたわらに腕組みをするまぼろしの猫 山名聡美
すっぴんにメガネをかけてマスクして最近ほしいものは印泥 山名聡美
いろり火は遠い記憶の底にある遠慮がちにと生きて来し祖母 古賀公子
つまらない世の中であり雪が降りバカバカしいほど恋がしたい 中村寛之
夕陽の中影より陰のさびしかり おいてきぼりの子供のごとく 久長幸次郎
鳥のいない鳥の巣のような沈黙であなたと電話がつながる夜更け 春澄ちえ
ひとひらの初雪に似て清らかなレースの襟のなつかしかりき 瀧本倫子
何故に夫と心中の夢見しや夢のなかでは意気のよく合い 田島キミエ
もう人を待つのは飽いた耳鳴りのとおく聞こえるホームに立って はたえり
時かけて空を降り来る雪だから何か思ひ出せさうで見てゐる 高野 岬
電車から湧き出て改札に押し寄せるまだ死んでない人間の群れ 垣野俊一郎

      一首評

乾涸びた魚の死骸を水槽の裏にみつけた スコシシニタイ 石橋泰奈

 この歌は、下句が断然いい。カタカナ表記にした、「スコシシニタイ」という表現がリアルだ。僕は、ひらがなよりもカタカナ表記をした「シ(=死)」という言葉にリアリティを感じる。それは、ひらがな表記より、カタカナ表記のほうが、乾いた表現だからだ。たまたま見た乾涸びた魚の死体を見て、多分作者は、スコシシニタイ、と思ったのだろう。死というものはそういうものだ。日常の、ほんのありふれた事象の中にこそ、ふっと浮かび上がる現象なのだ。自死ということは、真面目に考えた上での決着ではなく、ほんのひょっとした想念が背中を押すのである。下句のカタカナ表記が、重ねて言うが、つくづくとリアルだ。この作者の歌は、ぎりぎりの情念の欠片を浮き彫りにして、非常に痛々しい。美しく純粋に病んでいる。こういう先鋭的かつ非家庭的な感性を持った優れた歌人は、「塔」という家庭的で微温的な結社では居辛い思いをするであろう。僕はあえて進言するが、貴方には「塔」より「短歌人」のほうが合っています。現に貴方のような、尖った感性を持つ歌人を「塔」は全く評価していないではないですか。

 私の好きな歌人に限って、「塔」をどんどん辞めていく。「塔」の選歌欄は腹の底からつまらん。私の名歌選だけが、かろうじて「塔」の魅力を掬い取ってネット社会に放流しているかすかなよすがなのである。「塔」が自称する「ヘテロな結社」という部分をなんとか補っているのが当ブログなのである。「塔」編集部は、安閑としてくそ面白くもない家庭的な短歌を特選にし続けるがよろしかろう。私という、見えざる橋頭堡に守られていることを自覚もせずに。

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