№3246 アッキーはサイコパスってか?

 クリンチャー三着。聞いてないよ。僕は、阪神大章典をクリンチャーから、本線レインボーライン、準本線サトノコリニカルへの馬連二点買いの大勝負をした。結果は、レインボーとサトノの湾ツーフィニッシュで、クリンチャーは三着。僕はこのレースに、GⅠ級の掛け金を投じた。この敗戦はほんまに痛い。畜生。次回は、新しくレギュラー戦に組み込んだ大阪杯。ああ、本当に昨日の敗戦は痛い。

 安部昭恵ちゃんを国会証人に呼べという意見が世間にはあるが、それはやめたほうがいい。なんとなれば、彼女はサイコパスだからだ。サイコパスの意見なんぞ聞いたところで、普通の感覚の人間には理解できないのだから無駄というものである。
 サイコパスと言うと、世間の人々は「子どものころから猫を殺すなどの異常行動をして果ては連続殺人に走る人」というイメージを抱くだろうが、それはサイコパスの中でもごくごく一部にすぎない。ほとんどのサイコパスは、自分がサイコパスであるという自覚もなく人生を送っており、その大部分は才能豊かで魅力があり、人を引き付け、地位や名誉を手にし、そして、自分をそこまで盛り立ててくれた人々を使い古しのフンドシみたいに捨て去る、あるいは破滅や死に追いやって省みない。別に悪気があるわけではない。自分の無罪と純真さを、まったく疑いもなく信じているからだ。そしてサイコパスは「普通の社会人であれば当然とるはずの手続き」に対して無頓着である。どのくらい無頓着かというと、「ものを買えば金を払わなくてはいけない」ということが根本的にわかっとらんくらい無頓着であり、金を払えと言ってくる相手に対しては「なんでそんな無意味なことを言うんだろう」としか思っておらず、仕方がないからその場しのぎの答弁だけをして、しかも自分のことを不誠実だなどとは毛ほども思っていない。こうした性格は作家や役者や画家などの芸術家にはしごく向いているが、不幸なのはこの手のタイプを為政者に抱いてしまった国家であって、厄介なことにサイコパスは演説やほら吹きの才能に恵まれているので、しばしばその通り為政者の地位に納まってしまう。

 昭恵ちゃんは、他人を利用したとか、迷惑をかけたとか、他人にも守るべき生活や地位や良識があるのだという認識をまるで持たない天然さんであり、困ったことにそこが彼女の魅力でもある。周りに気を配ってばかりいる人って鬱陶しくて存在が灰色で魅力ないもんなあ。昭恵ちゃんは、サイコパスと言って悪ければおそらく社会的病質者である(同じ意味だが)。しかしそのことで彼女を非難しても詮無いことである。非難というものがまったく意味をなさないのがサイコパスだからだ。彼女の罪を問うより、彼女を今の場所にまで押し上げてしまった、世の中というやつの構造の甘さをこそ問うべきであろう。貴方の隣にいる、貴方を魅了するカリスマ的存在に気をつけるがいい。きっと彼ないし彼女は、その大いなる欠落を魅力的に見せる術に本能的にたけたサイコパスなのだから。

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