№3121 「塔」七月号・陽の当たらない名歌選2~絢爛たる地獄との対峙~

      「塔」七月号・陽の当たらない名歌選2

首飾りの止め金掛けて、と背を向けし美しく老いし友の首すぢ 葵 しづか
泣くまでにもう少し掛かる友のため駅まで歩く花冷えの夜 魚谷真梨子
退院に履いて帰ると父の言ひし靴そのままに三十年おく 岩本文子

一生を、いや一日をどうしよう 朝の曇りにうぐひすが鳴く 篠野 京
板チョコはいびつに割れて春の夜は喧嘩にならない二人のようだ 福西直美
しろい火、とどこかで言えり夕闇のひとところ雪柳しだれて 中田明子
かかりつけ医師の訃報を聴きし午後 北風いよよ身に沁みて吹く 浅野次子
午前二時のベッドの下の闇よりも暗いなにかに気づいて黙る 穂積みづほ
うなじから地に沈むように横たわる何から隔たりゆくこの体(たい)か 丸本ふみ
祖母危篤 ふるさとへむかふトンネルの照明(あかり)いくども頬を打ちたる 三吉 誠
「風光る」という季語を目の前で見た 君のポニーテールが揺れて うにがわえりも
高層の病室の窓のけふの空いたぶるやうにあを澄みわたる 臼井 均
トイレで寝てる私を起こす人も居ない一人暮しが最後の砦 田中典子
竹島はもともと我らの領土なり 獲り尽くされたるニホンアシカの 河野純子
またひとり逝ってしまった吉本の土曜の午後の中山美保 小山美保子
八十のおうなが語る生い立ちを相部屋中が聞く夕まぐれ 日夏美砂
「自由主義者ひとりこの世を去る」と記し上原少尉特攻出撃す 繁田達子
肯へとささやく声す手に重き受話器をおきて部屋を出るとき 朝井一恵
この地球(ほし)の行く末憂ひてゐるごとくゴリラの瞳いつも悲しい 大沼智惠子
一面に闇を明々(あかあか)照らすのも国力であり 羽田に降りる 加茂直樹
立つ人を見送りし人小さくて仮設住宅期限は来季 和田 澄
春と夏いっしょにやって来る酸ヶ湯四月はぽつりと雪の中なる 星野綾香
とぶらいの客にふかぶか頭(ず)をさげて母は叱りつ自死したる子を 村崎 京
名を呼べばこたえるもののあるときの名前とはひとつの命であるらし 谷口美生

      一首評

トイレで寝てる私を起こす人も居ない一人暮しが最後の砦 田中典子

 作品とは、作品単独で鑑賞すべきものである。従って、この歌の作者が、僕が憧憬してやまない全身歌人、田中雅子の双子の姉であるということも、鑑賞のうちに入れるべきではない。だが、僕はそんなもったいぶった近代的鑑賞法なんぞ屁とともに吹き飛ばしてくれるのである。心傷つき苦しんだ、一心同体の妹、河野裕子の愛弟子であるとともに、数々の呪われた、芸術家にとっては祝福であるエピソードに彩られた妹と同じ結社で短歌を作ろうというこの姉の歌から、妹の影を汲み取ろうとしないのはむしろ冒涜なのである。なぜなら短歌とはとことん個人史的なものであり、個人の経歴や情念と作品とを引き離そうとするものを僕は決して許さないからである。
 一心同体であった、しかも同じ顔と遺伝子を持った妹を失い、まさに悪魔のシスター(ブライアン・デ・パルマによる、シャム双生児を題材にした秀逸なホラー映画)のごとくその荒廃した精神世界を荒廃のうちに辿ろうという姉がここにいる。しょくんは感動しないだろうか。荒廃したひとりの女性が、どこまでも救済のない世界で、トイレの中で荒い画質の映画の一場面のように野垂れ寝ているのである! 僕は、こんなにも素晴らしく荒廃した美というものの世界を短歌以外の表現に知らない。これに匹敵するのは映画におけるヤク中やシャブ中の破滅の美学だろう。短歌とは畢竟、幸福になってはいけないものの芸術なのだ。
 あるいは良識ある読者は僕を非難するかもしれない。作中主体が孤独に煩悶したあげく便器の脇で悶死するような結末を期待するのであるかと。あえて言う。それのどこが悪い? 歌人とは、歌人であることを選んだ時点で全ての幸福と決別した存在なのである。それが認識できない幸福な人々は・・・・・まあこれ以上は言うまい。

 人生に何らかの不満を抱いている人よ。君のその不幸は、短歌によっては決して満たされないであろうから、そういう意図を持っている人はこの世界には入ってこないがよろしい。トイレで孤独死をするおのれを見通し、救われることを期待しない者のみどもが集うのが短歌という世界なのである。短歌というのは、絢爛たる地獄と対峙することなのである。高名なる歌人も、その配下に甘んじる選者諸氏も、そんな不都合な真実を誰も指摘しないにせよ。

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