№3084 「塔」五月号・陽の当たらない名歌選1~ゆふぐれ時の話芸~

      「塔」五月号・陽の当たらない名歌選1

熱燗を継ぎ足す父に愛煙家なりし名残りの沈黙はあり 金田光世
雪ふれば雪の速度で歌いたしあなたが生きているこの世のことを 大森静佳
「わたし勝つたわ」友逝くたびに言ふ人を何故か嫌ひになれないでゐる 広瀬明子

防砂林の松の根かたの陽だまりに眼力(めぢから)つよき猫と出会いぬ 炭 陽子
夕食を作りて死ぬる映画見て晩年の母嗚咽したりき 紺屋四郎
笑うために落語を聞いているんじゃない今日はただただしゃべってほしい 金田光世
ゴールして抱へられゆく少女から冬枝のごとき腕(かひな)の垂れる 広瀬明子
正座した足がしびれるまるでほら古いテレビの砂あらしだよ 乙部真実
今宵またおでんのごとくぐつぐつと肩寄せ合って仲間の悪口 川田一路
肩寄せて火事見る人の影ゆらす炎はいつも生(なま)の火である 清水弘子
その面に日の影落ちて弟は五つ違ひの儘に老い見す 仙田篤子
ちいさな亀に大きな影のあることもふいに哀しき冬の入り口 橋本恵美
筆談にどうしても応じぬ店なりき戻りて店のハンドル叩く 橋本英憲
こわれたる桐の箪笥の環なおす夫の背中の若く見える日 古林保子
いっぽんのリボン靡かせ走るよう月夜ひとりのペダル踏みゆく 山内頌子
こたつとは優しき砦猫の子が頭を入れて尻を見せいる 奥山ひろ美
ひと駅ぶん歩こうわれとわが街が夜にじわじわ呑まれゆくころ 垣野俊一郎
かも川の銅駝の橋の基の石を飛びし日のこと君な忘れそ 谷口美生
謝らないのが正しいことでもあるようでカーテンの奥の闇を見ている 川上まなみ
手作りのバレンタインチョコ不登校生徒が配る免罪符のごと 伊藤陽子
好きだった理由を言えば言うほどに 愛は理由がないという窓 田宮智美
却下されし企画書抱え持つ姿映すエレベーターの大鏡 富田小夜子
小さき肩ショールにくるめばおほきにと云ひたり母に声ありし頃 竹内真実子
おかへりと言ふ人だれも無き家へ帰る姉の背人波に消ゆ 久川康子

      一首評

笑うために落語を聞いているんじゃない今日はただただしゃべってほしい 金田光世

 僕にとって落語というのは、不思議な芸能である。落語というものについて僕が抱く印象は、テレビという媒体にはまったくといっていい程出ることはなく、ラジオで時たま流れるもの、であった。ラジオでしか聞けない落語は、聞いていて眠くなるものであった。よく落語家が枕で、客が寝ていることをクスグリにするが、落語というのは聞いていて実に眠くなるものである。つまり落語は、平和な日常の中で聞いているからこそ成り立つ芸能であり、だからひたすら眠くなるのだ。だから僕は、千葉テレビの「浅草お茶の間寄席」をヘッドフォンで聞きつつ、面白いなと思いつつ眠くなってくるのだ。落語というのは、日本的話芸のララバイという気がしてしょうがない。この歌の作者の気持ちはよくわかる。笑いたいのではなく、ただただ言葉が欲しいのだ。ひたすらに作者は寂しいのだ。僕も落語を聞くのは、寂しさを紛らわせるためのことが多い。笑わせてくれなくたっていい。落語家の滑舌のいい喋りを聞いているだけで過していい夕暮れ時があるのである。落語は、夕暮れ時に聞くのが一番愛おしく感じる話術である。

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