№3080 月丘夢路逝去

 五月三日、女優月丘夢路が逝った。九十五歳。天寿を全うしたと言っていいだろう。僕は、日本映画女優史上において、好きになった初めての女優が実はその月丘夢路だったのだ。タイトルは忘れたが、子どものころテレビで観た、彼女の出ていた映画に感動した。夢路演じるヒロインがさんざん苦労した人生の末に、やっと幸せを掴み、良縁、子どもにも恵まれ、ほっとしたのも束の間、汽車の事故で家族が全員死んでしまい、ヒロインは尼さんになるというストーリーだったと憶えている。共演者は葉山良二、大阪史郎だったと記憶している。僕がこの映画をテレビで観たのは小学校三年生のころだったが、とにかく月丘夢路の美しさに圧倒された。彼女は、和服の似合う、まさに満月のような美人だった。当時、僕が同じようにはまっていた女優で外国の人が、かのスザンヌ・プレシェットである。叔母と一緒に「恋愛専科」を観に行って虜になった。夢路は、晩年、東スポの取材のこのような言葉を残している。「今は女優さんというのが育たないでしょう。根気よく育てようという姿勢もない」。これは正鵠を得ている。昔は、アイドル女優でさえじっくり育てられたものだ。たとえば内藤洋子。恩地日出夫監督の「伊豆の踊子」では、演技力をみっちりと叩き込まれたそうだ。僕本人が、舞台となった湯ヶ野温泉に行ったとき、ロケ地である温泉宿の人に聞いたのだから間違いない。恩地は、洋子ちゃんの踊りのシーンが気に入らなくて、何度も撮り直しをやったそうだ。その話を聞かせてくれたもと仲居さんによると、見ていて可哀想になるくらい厳しかったらしい。その結果は、洋子ちゃんの素晴らしい演技と、日本映画史上に残る素晴らしい「伊豆の踊子」である。結婚してロスに住んでいた洋子ちゃんが、久しぶりに復帰して「徹子の部屋」に出演したとき、「伊豆の踊子」を名誉に思っている、ということを素直に肯定した。

 今は、女優はゾーキン、とまでは言わないが、有能な演出家によってじっくり育てられる存在ではもはやない、という不幸な存在だ。ただそれでも、そんな悲惨な土壌からもいい女優は育っている。それについては後日また書きたい。こんなひどいシチュエーションの中でも、いい女優は存在しているからだ。

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