№3069 人間のクズだからこそ文学を乞ふ

 昨日の日記に大変ありがたいおコメントを頂いたので、それに対するお礼のコメントをたっぷり書かせていただいた。ご興味ある方は是非ともご閲覧ください。この有難いコメント子様のご意見が、文学を嗜好する人々の主流なのかと思うと絶望的な気分になる。

 文学を志す者は、全てその時点で人間のクズである覚悟を決めた者である。このようなシンプルな真実をなぜ人々は理解しないのか。まず、心正しい少年少女のための清らかな寓話をあまたものしたとされている宮澤賢治。あれは妹を犯した変態である。とんでもない野郎だ。次に有島武郎。自分を取材に来た女性記者と深い中になり、彼女の亭主に告訴されてしょんべんちびって別荘で彼女と一緒に首を吊って腐乱死体で発見された(ちなみに彼の息子はどスケベ演技で名をはせた森雅之である)。とりわけ石川啄木なんぞは下の下の下の最低である。これほど最低な男は、もしも小説に描いたらリアリティがないといって編集者に却下されるであろう。これが僕の友人であったらぶん殴っていると思う。中原中也。死んでしまえ(死んでいるが)。要は、文学者なんぞは文学者であるという点において、すでに人間のクズなのだる。クソなのである。クソにまで墜ちたからこそ、天上の言葉に到達できるのだ。墜ちるとこまで墜ちた啄木の発信する言葉を超えるような表現者は現代にはいない。現代においての文学者もどきは、そこそこの地位を維持するのに汲々として、そこそこのコメントを発して生き延びている小動物に過ぎない。小動物がはびこる世界で、巨大な恐竜のごとき文学者が生きるのは困難だ。その点においても、現代の歌壇は最低である。人間的にダメなのが多いことを(いろんな情報網から)僕は知っているが、悲しいかな連中は表向き繕うことには才覚があるだけで、肝心の歌の才能はさっぱりなのである。僕の逆鱗に触れた歌人たちは、この日記で徹底的に攻撃したいが、今はまだ我慢している段階である。歌人たちよ、私を挑発することなかれ!

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