№ 1232 歌壇の書き手の層の薄さ

 昨日の「師匠は支障を生む」には、コメント欄を始めとして、メールなどでかなりの反響があった。ぜひ、「短歌人」2月号を参照していただきたい。また、このエッセイを載せた「短歌人」誌に僕は深い敬意を表する。これも当たり前のことなのだ。歌人の皆さん、普段疑問と思っている当たり前のことを書きましょう。その中にこそ、現代歌壇に対する多くの疑問が胚胎されていると思うからである。  斎藤氏の文章の中で、「某歌…

続きを読む

№1231 「師匠は支障を生む」

 「短歌人」2月号にて面白いエッセイを読む。「師匠は支障を生む」というおやじギャグすれすれのタイトルのそれである。僕はもう、歌壇における「師匠」「師系」というのはほとんど死語だと思う。俳句という、古典的なようでいて実は江戸時代からがやっとの新しい詩型なら、まだしも師匠と弟子という関係もありな感じもするが、短歌という、長い長い歴史を経てなにがなんだかなんでもありになったジャンルにおいて、教えたり教…

続きを読む

№1230 歌壇時評「パッケージされる歌」

角川「短歌」1月号、なみの亜子氏による「歌壇時評」、「パッケージされる歌」を興味深く読む。この文章は、僕が常日ごろから感じている最近の若手歌人による、口あたりがよくて中身のない歌への不満が語られているように思える。「作品の内奥にいるはずの作者がつかまえにくかった」となみの氏は書いておられるが、これはかなり遠慮深い書き方だろう。遠慮を取り除いて言えばこれはおそらく、「おまいらは血の通った、トイレ…

続きを読む